氏名

三柴 丈典(みしば たけのり)

性別

男性

生年月日

1971年(生まれは愛知県の知多半島、育ちは東京都三鷹市です)

現住所

奈良県(学園前のはずれに住んでいます)

自己分析

臨床実定法学者

社会臨床を重視しているので、基本的にトランスプロフェッショナルな発想を好みますが、むろん基軸は法学です。
「百聞は一見にしかず」なので、現場に出て行くことを好みますが、学者は真理の探究や、それに基づく新たな価値創造(*社会的な理論構築を含む)を生業とする公共財だと考えており、実務世界のイメージ操作に巻き込まれることを潔しとはしません。
もっとも、社会理論には社会心理が重要な役割を果たします。ですので、詐欺的なイメージ操作に巻き込まれず、かといって視野狭窄にも陥らず、総合力と洞察力を磨くことで公益に貢献できる法学者でありたいと考えています。

とはいえ・・・

大切なことは、ものごとを、どれだけ客観的に、深く、多角的に、そして暖かくみられるかではないか、と考えています。

勤務先

〒577-8502 大阪府東大阪市小若江3丁目4番1号 近畿大学法学部
*将来性を感じる学生が多くいる、大きな可能性を秘めた大学(学部)です。

趣味

ピアノの演奏
読書
ゴルフ、テニス

好きな言葉

「強くなければ生きられない、優しくなければ生きる資格がない」
「真実を知ると人は自由になれる」
「巧言令色、仁少なし」

最近よく思うこと

「目にみえにくいものを大切にしなげれば、人間は成長できないし、豊かにもなれない」

好きでないけれど、直視せねばと考えているもの

・(行き過ぎた)保身、狭量、粗雑、狡猾
・安易な割り切り、自己目的化した役割
・形式「主義」、効率「主義」
・現実逃避、思考停止
・即物性
つまり、逃避型の生き方。その背後にある「こころの貧しさ・弱さ」
おそらくは、様々な社会問題の根源にありつつ、自他共に、人間である以上、切っても切り離せないもの

(大学生の頃)発言に力を感じ、無意識にモデルとしてきた人物

森本敏(現拓殖大学海外事情研究所所長)

本当はこう成りたかった、けれど成れなかっただろう、と思う人物

池田満寿夫

敬愛する俳優

笠智衆

敬愛する作家

司馬遼太郎

司馬の作品で採り上げられている主人公は、強い志と生命力を持った傑物ではあるが、ある種の偏屈さを持った者が多いと感じる。 そうした偏屈な傑物の持つ異才は、司馬が好んで選択する「緊張した時代状況」の中で、まるで時代に必要とされるかのようにいったんは活躍の場を得るが、 後には、その異才とセットで主人公に内在する美学(例えば武士道)や情の深さ、はたまた脇の甘さ、不用意さなどの故に、凋落の途を辿る。 故にこそ「偏屈」なのであり、故にこそ「人間」、特に「日本人」というものが豊かに表現されるのだ、と感じる。

司馬の作品は、膨大な史料や現場を丹念に調査(または鑑賞)した上で書かれてはいるが、 史実の解釈、というよりそれに基づくフィクション(創作)は、司馬自身の完成度の高い哲学、人生観、人間観、美学に基づいて芸術の域に高められており、 読者に「学び」と「感動」を同時に与える。

司馬の作品から推し量ることのできる司馬という人間像は、強烈な程の生命力や「人間」、特に「日本人」への関心、美意識、 そしてそれらに裏付けられた秩序意識などの持ち主、ということになる。 仮に、司馬が実際にこうしたものを持ち合わせていたのだとすれば、小市民的視点からみた時、やはり「偏屈」ということになるのかもしれない。

けれど、私は、この「偏屈な傑物」をこよなく敬愛してやまない。

なお、私が歴史小説に惹かれたそもそものきっかけは、司馬を高く評価していた作家、 海音寺潮五郎の名作『平将門』に触れたことがきっかけであったことも、書き添えておかねばならないだろう。

将来の目標

人が人を丁寧に観(看)ようとしなくなったこの時代にあって、 物心共に豊かな国づくりに薄皮1枚分でも貢献を果たすこと。

:形式的な平等や形式的な客観性は、実質的には不平等に他なりません。そして、人間にとって究極の贅沢とは、おそらく「オーダーメード」ではないでしょうか。この国に生きる一人一人が、もう少し真っ正直に生きても、もう少し互いを理解し、敬意を持ち合って暮らしていけるような、良識と教養、それらを支える胆力のある、心豊かな(≒懐の深い)国になるよう、微力ながらお手伝いができれば、と思っています。

そこで鍵になるのは、美学と胆力、追求心と洞察力なのではないか、とも思っていますが、そうした素養を育むには、知力、財力、生命力などの基礎体力が必要とも感じています。

仕事上のポリシー

「どう見えるか」より、「どうあるか」について、深く洞察していきたい。しかる後、「どうあるべきか」につき、考察していきたい(残念ながら、法学者、法律家には、この順序を逆転させてしまっている方が少なくないように感じられます)。
1臨床実定法学者として、目に見え難(にく)いところにある実質を、法制度、法理論に汲み上げられるよう、努めていきたい。

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